多摩ハンドサッカー倶楽部          








『多摩ハンド★ヒストリー』NO.3



※2020年12月作成

『多摩ハンド★ヒストリー』も3回目を迎えました!!
ぜひご覧ください!!

2020年も残りわずかとなりました。
本来であれば今年は東京オリンピック・パラリンピックの開催予定の年でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響を大きく受けた年1になってしまいました。
みなさんも「今年やりたい!」と言うこともあったかと思いますが、もうしばらくの辛抱ですね。

連載3回目を迎えた今回の『多摩ハンド★ヒストリー』では、当倶楽部の設立当時の活動についてお伝えします。

当倶楽部は2008年3月に設立し、活動を始めました。
設立時の会員数は9人でしたが、ハンドサッカーは1チーム7人なので活動の中で試合形式の練習をする場合は14人が必要になるため、練習試合が出来るほどの人数には足りません。
そのため、設立当初は、スペシャルシューター・ポイントゲッターをコーンに代替えして行ったり、フィールドプレイヤーも本来は1チーム4人ずつですが、3人や2人に減らしたりなど工夫して行っていました。

これまでの活動のなかで、最小参加人数は4人ということがありました。
そうしたなかで、時には保護者の方や介助者の方々に試合に参加いただくこともありました。14人以上の参加人数が集まるまでは何年もかかりました。

そのような中でも、設立時には特別支援学校の先生からアドバイスを頂き、スペシャルシューターで使用するサブゴールの製作方法など助言をいただくことができました。

設立当初は厳しい環境の中での活動だったのでしたが、その中でも一番大変だったのは、審判です。
ハンドサッカーの審判は、かなりの運動量に加えて、難しい判断が求められます。活動を始めたころは一般向けの審判講習会はありませんでしたので、特別支援学校の先生の見よう見まねでやってました。また保護者の方やボランティアの方々にも審判をやっていただくことが出来たので、今日まで活動が続けることができ、感謝しております。

そうした中で当倶楽部は、特別支援学校の先生や日本ハンドサッカー協会の方々に一般向けに審判講習の機会を依頼させていただき、数年前から実際に審判講習会を開催いただけることになりました。
審判講習会の時には、毎年当倶楽部から数名の保護者やボランティアの方々が参加させていただいております。
これらの内容は、きちんと整理した上で日々の活動に反映されております。

今日まで当倶楽部が継続出来ているのも、設立当初から支えていただいている方々のお陰であります。設立当初のころは、人数は集まらない、道具も集まらない、審判の技術が未熟の中、活動を行う環境としては不十分であったかもしれません。

それでも
「ハンドサッカーを楽しみたい」、「ハンドサッカーを広げたい」
という気持ちをもって活動を継続してきました。

これまで当倶楽部を支えていただいている方々にこの場を借りて感謝申し上げます。

今後ともご支援いただけますよう、よろしくお願いいたします。

冒頭のお話にもありましたが、今年は「新型コロナウイルス感染症」の影響を大きく受けた1年でした。
実際に体育館で活動できたのは、外部チームとの練習試合とコロナ渦のなかでの「プレ活動」を含めて4回のみとなってしまいましたが、「オンラインおしゃべり会」などの新しい企画を実現できて良かったと思っています。
今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。